玄慧とは? わかりやすく解説

げんえ〔ゲンヱ〕【玄慧/玄恵】

読み方:げんえ

[?〜1350南北朝時代天台宗の僧。京都の人。字(あざな)は健叟。別号、独清軒。禅宗宋学にも通じ後醍醐天皇侍読つとめた。のち、足利尊氏用いられ建武式目制定参画。「太平記」の作者ともいわれる。げんね。


げんね〔ゲンヱ〕【玄慧】

読み方:げんね

⇒げんえ(玄慧)


げんえ 【玄慧】

ゲンネとも。南北朝期天台宗僧。号は独清軒・健叟。京都の人。虎関師錬実弟との説もある。儒者として朱子学詳しく後醍醐天皇公卿講じた建武式目制定参加、『庭訓往来』の著者としても知られる北畠法印。(一三〇二~一三五〇)→ 師錬

げんね 【玄慧】

→ 玄慧

玄恵

(玄慧 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 00:06 UTC 版)

玄恵(げんえ・げんね、文永6年(1269年)? - 正平5年/観応元年3月2日1350年4月9日))は、南北朝時代天台宗儒学者。号は独清軒・健叟。玄慧とも。虎関師錬の弟とも言われる。玄恵法印。




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