ものくさたろう〔ものくさタラウ〕【物くさ太郎】
物くさ太郎
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『物くさ太郎』(ものくさたろう)とは、日本の物語で『御伽草子』のひとつ。「物倦太郎」、「懶太郎」とも表記される。作者、成立年代については不明。
- ^ 『日本国語大辞典』(第二版)12、「ものぐさい」の項(1350頁)。
- ^ 松本隆信「伝本から見た御伽草子二十三篇について」 『日本文学研究資料叢書 お伽草子』所収、54頁。
- ^ 『古本物くさ太郎』125頁、139 - 140頁。
- ^ 刊本系冒頭に「東山道みちのくの末、信濃の国十郡のその内に、つるまの郡あたらしの郷といふところに…」とあり、「つるま」は「つかま」すなわち筑摩郡の事とされている。「あたらしの郷」については不明だが、東筑摩郡の新村(にいむら)の事かともいう。『日本古典文学大系』38、186 - 187頁参照。古本系は「東海道の末、信濃の国の内につるまの郡あたらしの郷と申すところに…」とある。
- ^ 「…五十五代文徳天皇ノ御宇、信濃中将ト云ヒシ人ニ勅シテ当社(穂高神社)ヲ造営セシメラル。(中略)此中将ハ仁明天皇三代ノ孫ナリ、俗ニ物苦(モノグサ)太郎ト称ス。今当社ノ内ニ若宮大明神ノ宮アリ、此中将ヲ祝ヒシナリ〈信濃中将ハ其比当国ノ国司ニヤ〉」(『信府統記』第二十、「穂高大明神」の項)[1]。
- ^ 古本系より、『古本物くさ太郎』142 - 143頁。刊本系ではこの部分は、「をよそ凡夫は、本地を申せば腹を立て、神は本地をあらはせば、三熱の苦しびをさまして、直(ぢき)によろこび給ふ也」とある。
- ^ 『古本物くさ太郎』142 - 145頁。
- ^ 『物草太郎絵巻』より。『懶太郎物語』では下の句が「から竹むばら むらさきの門」、刊本系は「おもふなら とひてもきませ わがやどは からたちばなの むらさきのかど」とあり、語句に相違がある。
- ^ 浅見和彦「『物くさ太郎』の歌より」 『日本文学研究資料叢書 お伽草子』所収。
- ^ 美濃部重克「『物草太郎』の口承的仕組み小考」 『論纂 説話と説話文学』(笠間書院、1979年)所収。
- ^ 『長野県の地名』(『日本歴史地名大系』20 平凡社、1979年)617頁。
- ^ “【像えとせとら】物くさ太郎(松本市新村)”. MGプレス (MGプレス). (2020年12月16日) 2024年1月24日閲覧。
- ^ 「信太妻の話」 『折口信夫全集』第二巻(中央公論社、1965年)所収、276 - 277頁。
[続きの解説]
「物くさ太郎」の続きの解説一覧
- 1 物くさ太郎とは
- 2 物くさ太郎の概要
- 3 異伝
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