無為法
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無為法(むいほう,梵: a-saṃskṛta-dharm)とは常住法[1]、すなわちサンカーラではない法をさす仏教用語。仏教は一切法(sabba-dhamma)を、無為法と有為法に明確に二分して、両者を全く異質なカテゴリーとして扱う[2][3]。
注釈
- ^ 何等為無為法?所謂:虚空、涅槃、数縁滅、非数縁滅、十二縁起及法界。(cbeta、T09n0278_012、[0476a01] )
出典
- ^ a b 舟橋水哉、et al.「倶舎論に於ける世親の諸法観」『佛教研究』第3巻第3号、1922年、32-47頁、NAID 120006332924。
- ^ a b 中村・三枝 2009, p. 179.
- ^ 藤田 正浩「原始仏教における縁起と一切法」『印度學佛教學研究』第33巻第1号、1984年、274-277頁、NAID 130004025061。
- ^ 椎名六郎、et al「無為法の観念」『佛教研究』第2巻第1号、1921年、82-119頁、NAID 120006383672。
- ^ a b 岩波仏教辞典 1989, p. 778.
- ^ a b c d e f 宮下晴輝「非択滅無為」『佛教学セミナー』第49巻、1989年、45-62頁、NAID 120006724128。
- ^ a b c 櫻部 1981, p. 27.
- ^ 櫻部 1981, p. 197.
- ^ 櫻部・上山 2006, p. 109、142、索引頁「仏教基本語彙(1)~(10)」.
- ^ 中村 2002, p. 171.
- ^ 中村 2002, p. 174.
- ^ a b 荘 崑木「世親『五蘊論』の無為法について」『印度學佛教學研究』第62巻第2号、2014年、946-942頁、NAID 110009807173。
- ^ 水野 1962, p. 9.
- ^ 横山 1976, p. 101.
- ^ a b c 中村 2002, p. 191.
- ^ a b 中村・三枝 2009, p. 178.
「無為 (仏教)」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は毎日を無為に過ごしている
- 無為無策主義の雰囲気が国に満ちている。
- 無為なれば孤独を避けよ。孤独なれば無為を避けよ。
- 彼は私の怠慢[私が人生を無為に過ごしたこと]をしかった.
- ちまたでは政府の無為無策に対する不満の声が高い.
- なんぼ華族だからとて無為にして朽ち果てる必要は無い
- なんぼ華族だからとて無為にして朽ちてしまう必要は無い
- 無為に日を暮らす
- 彼は無為に終わった
- 無為にして化す
- 無為主義
- 無為王
- 厳しい一日の仕事の後、私はテレビの前で無為に暮す
- 彼らの休日は睡眠と無為の生活に費やされた
- 無為に苦しむさま
- 無為無策の政府
- 特に大都会での無為で浮ついた生活様式
- 役に立たず無為に過ごすさま
- 自分の肉体を忘れて無為自然の道を悟ること
- (仏教)悪業によって生じた障害
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