江戸時代の岡之原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:19 UTC 版)
岡之原という地名は江戸時代より見え、薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった。「歴代制度巻20」によれば鹿児島近在のうちでも岡之原村は遠名に属していた。「元禄郷帳」及び「天保郷帳」には塚之原村とあり、後に岡ノ原村に改称したとされる。村高は「天保郷帳」では441石余、「三州御治世要覧」では395石余、「旧高旧領取調帳」では702石余であった。 明治4年には花野村(けのむら)が岡之原村に編入された。花野村は寛政6年の鹿児島諏訪社祭次第に「毛野」と見えるのが初見であるとされ、「歴代制度巻20」によれば鹿児島近在のうちでも花野村は遠名に属していた。村高は「郡村高辻帳」には294石余、「三州御治世要覧」には395石余であったと記述されている。
※この「江戸時代の岡之原」の解説は、「岡之原町」の解説の一部です。
「江戸時代の岡之原」を含む「岡之原町」の記事については、「岡之原町」の概要を参照ください。
- 江戸時代の岡之原のページへのリンク