武田義統(たけだ よしずみ?) 1526~1567
○彦ニ郎 義元?信統? 治部少輔 伊豆守 大膳大夫
◇父:武田信豊 室:足利義晴女 子:武田元明、義頼
家督相続で父信豊と争うが、信豊を支持する叔父信高が没すると、信豊は隠居し、若狭守護・武田氏当主となる。1558年再び揉め、信豊は近江・六角氏を頼って出国し、態勢を整え若狭に攻め込まれ、後にこれと和する。1561年重臣栗屋勝久、逸見昌経らの反乱が起き、越前・朝倉氏の支援を得て一時的に撃退するものの、粟屋氏は事実上独立し、逸見氏は1566年義統の子元明を擁立して叛乱を起こし、再び父子の争いとなった。これに対しても再び朝倉氏の援軍を得て、逸見氏を撃破する。この時足利義昭が若狭に頼ってくるが、武田氏の内紛を見て入洛を断念し、朝倉氏の下へ赴いている。
◇父:武田信豊 室:足利義晴女 子:武田元明、義頼
家督相続で父信豊と争うが、信豊を支持する叔父信高が没すると、信豊は隠居し、若狭守護・武田氏当主となる。1558年再び揉め、信豊は近江・六角氏を頼って出国し、態勢を整え若狭に攻め込まれ、後にこれと和する。1561年重臣栗屋勝久、逸見昌経らの反乱が起き、越前・朝倉氏の支援を得て一時的に撃退するものの、粟屋氏は事実上独立し、逸見氏は1566年義統の子元明を擁立して叛乱を起こし、再び父子の争いとなった。これに対しても再び朝倉氏の援軍を得て、逸見氏を撃破する。この時足利義昭が若狭に頼ってくるが、武田氏の内紛を見て入洛を断念し、朝倉氏の下へ赴いている。
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