歌舞伎の「稲瀬川」
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「稲瀬川 (神奈川県)」の記事における「歌舞伎の「稲瀬川」」の解説
江戸時代に制作された歌舞伎作品では、同時代を鎌倉時代に、江戸を鎌倉に読み替えた作品が多い。二代目河竹新七(黙阿弥)は、隅田川(大川)を置き換える舞台として稲瀬川をしばしば登場させており、実際とは異なる大きな川として描写された。 『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)』(1862年初演、通称「白浪五人男」)は、江戸時代の盗賊日本左衛門をモデルとする「日本駄右衛門」ら「白浪五人男」を描く作品であるが、北条時頼の頃の鎌倉が舞台と設定されている。五人男が船で逃れるために「稲瀬川」の土手に勢揃いし、捕り手に囲まれながら見得を切る場面が、見せ場の「稲瀬川勢揃いの場」であるが、舞台背景には対岸に浅草の待乳山聖天が描かれており、明らかに隅田川と分かるようになっている。 このほか黙阿弥の作品では、『小袖曾我薊色縫』(1858年初演、別外題『花街模様薊色縫』、通称「十六夜清心」)に「稲瀬川百本杭の場」が、『八幡祭小望月賑』(1860年初演、通称「縮屋新助」)に「稲瀬川波除の場」がある。「百本杭」「波除」は、隅田川の両国橋周辺に川岸の保護(波除け)のために打ち込まれた多数の杭「百本杭」を表す。 黙阿弥の作品以外では、『桜姫東文章』(1817年初演、四代目鶴屋南北ほか作)に「稲瀬川の場」がある。
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