歌人としての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 09:01 UTC 版)
歌人として東雄は多数の和歌および長歌を残しており、1840年(天保11年)3月には歌集『はるのうた』を自ら刊行している。歌人の佐佐木信綱は『近世和歌史』の中で、東雄を「勤王家中第一の歌人」と賞賛し、万葉調の古調の中に爽快感があると評している。 特に昭和初期にその評価は高まり、1942年(昭和17年)11月には愛国百人一首の80番として、東雄の「天皇に仕へまつれと我を生みし我がたらちねぞ尊かりける」が採用されている(現代語訳「天皇にお仕えせよと私を生んでくださった私の母親は、なんと尊い人であろうか」)。
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