極悪同盟
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極悪同盟(ごくあくどうめい)は、1980年代に全日本女子プロレスで活躍した、ダンプ松本を中心とするヒールユニット。
- ^ 「伝説の女子プロレスラー」大集合! 初笑いぶっちゃけ座談会日刊大衆 2015年1月13日
- ^ 史上初の実名プロレスゲーム「極悪同盟 ダンプ松本」ミルホンネット 2008年2月19日
- ^ 2020年に2代目・株式会社セガに吸収合併。「セガ・アーケードゲームヒストリー」自体はセガ製品情報サイト内へ移動。
- 1 極悪同盟とは
- 2 極悪同盟の概要
- 3 極悪同盟 ダンプ松本
- 4 関連項目
極悪同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:48 UTC 版)
正式に極悪同盟に加入し、1985年2月からリング名をダンプ松本にあやかり中野恵子から「ブル中野」に改名する。中野がレスラーとしてブレイクしたのは、パンクをモチーフにした、わかりやすいヒールの外観にヌンチャクを凶器に使用してギミックチェンジした後、ダンプ松本、クレーン・ユウらと組んだヒール軍団 "極悪同盟" での活動である。特にユウの引退後、ダンプ松本とのタッグチームはベビーフェイスのクラッシュギャルズとの抗争が人気を博し(このタッグチームは当時アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでも再現されている)、全日本女子のメインイベンターとなりトップレスラーとしての地位を確立。この頃体格を大きくするために給料のほとんどを増量に費やし体重は100kgを超えたが、その過程でトレーニングや食事でも92kgから体重がなかなか増えず、男性ホルモン剤の注射などを行なって100kgに到達させた(後にWWEへ遠征する際には体重を90kg台に落としている)。2018年の取材では92kgから100kgに到達させるのにアナボリックステロイドを使用したと告白している。 ヒール役はもともと中野本人が志望したものではなく、上役からの指示によるものであったために極悪同盟入門当初はヒールに徹しきれないでいたという。中野の悩みをダンプが見抜き、今後ヒールレスラーとしてやっていく覚悟を決めさせるために九州巡業の控え室でダンプから「今日からモヒカン刈りになって私のパートナーになれ!」と強い口調で突如言われ「でもまだ半人前だから半分切ればいいや」と言うダンプに即バリカンで左側の髪を半分剃り落とされてしまい、試合後にホテルの部屋で一人号泣したことを後にインタビューや著書などで告白している(ダンプ曰く、この頃ダンプのパートナーであるユウのレフェリー転向が決まり、今後中野とパートナーを組んで極悪同盟を継続していくためにやむなく中野の髪を断髪してしまったという)。この「半モヒカン」をきっかけに中野は当時ひそかに交際していた男性とも別れてしまい、「もう女性として生きるのはやめて、プロレスの世界で生きる」と覚悟を決め、「はじめてプロレスラーになれたのはこの瞬間」と述懐している。この右側の髪を半分残したモヒカン頭は獄門党の初期まで継続された。
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