桶川宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:09 UTC 版)
桶川宿(おけがわじゅく[2]、おけがわしゅく[3])は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて6番目の宿場(武蔵国のうち、第6の宿[4])。
- ^ 「きそ-かいどう おけがわ-しゅく ひろはら-の-けい」と読む。当時木曽街道と呼ばれた中山道の名所を描いた名所絵(浮世絵風景画)『木曽街道六十九次』の1枚。
- ^ 埼玉新聞社 『埼玉大百科事典』 〈1〉あ-か、埼玉新聞社、1974年、309頁。ASIN B000J9ECS8。
- ^ 平凡社地方資料センター 編 『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社、1993年、281頁。ISBN 4-582-49011-5。
- ^ 現在では、埼玉県に属する第5の宿。
- ^ 宝亀2年(西暦771年)10月27日以前は東山道武蔵国足立郡。
- ^ てんか。言語において、本来の音がなまって変化すること、および、その語。
- ^ 桶川市公式ホームページに基づく(※「#外部リンク」)。
- ^ 『中山道宿村大概帳(なかせんどう しゅくそん-だいがいちょう)』に基づく。『宿村大概帳』とは、幕府の道中奉行所が調査した五街道とその脇街道の宿場の記録で、53冊が収蔵されている。各宿場の人口、家数、本陣、旅籠の数、高札の内容、道路の広さ、橋、寺社、地域の産業、特産品など、宿場と街道筋の村落の状況が詳しく記載されており、五街道分間延絵図とともに道中奉行所が用いたものらしい。成立年代不明ながら、天保から安政(1840- 1850年代)にかけての調査と考えられている。
- ^ 「紅花まんじゅう」を名物とする。
- ^ だい-ばんじゃく。日本に4つしかないという、特に大きな力石の呼称。
- ^ 1里=3.9272727km、1町=0.1090909km、間=0.0018181818km。 135里=530.181814km、24町=2.6181816km、8間=0.0145454544km。135里+24町+8間=532.814541km。
- ^ 10里=39.272727km、14町=1.5272726km。10里+14町=40.7999996km。
- ^ 34町=3.7090906km。
- ^ 1里+30町=7.1999997km。
- ^ 115里=451.636361km、14町=1.5272726km。115里+14町=453.163634km。
- ^ 徒歩については「歩く」「徒歩旅行」を参照。短い距離を想定した現代の不動産業の基準値は、時速4.8km(「徒歩所要時間」参照)。
- ^ a b 亀井千歩子ほか 『中山道を歩く』改訂版 山と溪谷社〈歩く道シリーズ 街道・古道〉、2006年、19- 21頁、ISBN 4-635-60037-8 :一部を除く。
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