柳原土手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:47 UTC 版)
「繊維問屋街 (岩本町・東神田)」の記事における「柳原土手」の解説
江戸幕府が開かれた慶長年間(1597-1615)に江戸城の鬼門除けに稲荷を祀り、柳を植え駿河台から浅草橋までの土手を「柳原土手」という。もともとは武家地であったが、江戸時代中ごろから町人の町となる。それに伴い土手のそばには古着を扱う露店が多く立ち並び、古着の町として知られるようになる。しかし、明治6年に柳原土手は取り壊され、広いスペースを持つ柳原通りに変わる。そして、新政府はこの柳原通りに「官製古着市場」と名づけ、以降古着取引の常設市場に指定される。
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