林と羅振玉とは? わかりやすく解説

林と羅振玉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:59 UTC 版)

林泰輔」の記事における「林と羅振玉」の解説

1910年明治43年初頭甲骨に関する論文北京羅振玉郵送して教え求めた当時京師大学堂農科大学監督の職にあった羅振玉金文碑文研究家として有名であり、『鉄雲亀』にも序文書いている。論文読んだ羅振玉はその該博な論証驚嘆した当時羅振玉甲骨文字対す見解は、「夏代殷代のものであって周代のものではいことは確かだ。」 という曖昧なものであり、論文によって自身研究補正する必要性感じ、それと同時に論文にも未解決の問題がたくさんあることを知った。そして羅振玉自身所蔵している甲骨文字改め検討し甲骨文中に帝王の名10余を発見するとともに甲骨の出土地殷墟であることをつきとめ1910年明治43年)、『殷商貞卜文字考』1巻出版した。 『殷商貞卜文字考』を書いて甲骨への興味一段と高まった羅振玉は、1911年明治44年)、弟の振常らを安陽派遣して出土地確かめとともに、さらに多く甲骨入手し1914年大正3年)に『殷商貞卜文字考』を増補して『殷虚書契考釈』を刊行したこのようにして羅振玉甲骨文解読基礎資料集成成功し以後甲骨学者の研究はすべてこの『殷虚書契考釈』を出発点として始めようになったのである。『殷商貞卜文字考』の冒頭羅振玉は、「およそ君の未だ達せざるところ、ここに至りて、すなわち一々分析明白となりぬ。すなわち、すみやかに写して君に寄せ、かつはもって当世考古の士におくる。」 と述べているように、これらの書物刊行一つ示唆与えた功績大きい。

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