村岡花子と佐野きみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 23:50 UTC 版)
NHK連続テレビ小説『花子とアン』(2014年度前期)の原案となった、村岡恵理の著書『アンのゆりかご-村岡花子の生涯-』には、村岡花子と佐野きみの出会いについて触れた一節がある。 1903年(明治36年)、村岡はな(花子の本名)は東洋英和女学校に給費生として編入学しており、毎週日曜日は給費生の必修として、東洋英和が運営している永坂孤女院の日曜学校に教師として出向いており、身寄りのない孤児たちに、物語を語り聞かせていた。「赤い靴はいていた女の子」とうたわれている少女はそのころ永坂孤女院にいた佐野きみであるとの記述である。この記述は厳密には「はなが物語を語り聞かせていた孤児たちの中に、はなより9歳年下のきみがいた」とはしていない。あくまで「孤児たちに物語を語り聞かせていた」と「佐野きみが永坂孤女院にいた」との記述である。 きみが永坂孤女院に預けられた時期については議論(前述)もあるが、1911年(明治44年)9月のきみの訃報に、東洋英和女学校在学中であったはなが接していたことは確かなようである。 なお、『アンのゆりかご-村岡花子の生涯-』は、きみの生涯については「定説」に拠っている。
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