曽鞏とは? わかりやすく解説

そう‐きょう【曽鞏】

読み方:そうきょう

1019〜1083]中国北宋文人南豊江西省)の人。字(あざな)は子固。欧陽脩門下で、感情抑えた平易な文章で有名。唐宋八家一人


曾鞏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/15 23:50 UTC 版)

曾 鞏(そう きょう、天禧3年8月25日1019年9月30日)- 元豊6年4月11日1083年4月30日))は、中国北宋の散文家。は子固。は文定。建昌軍南豊県の出身。唐宋八大家の一人。父は曾易占。兄は曾曅。弟は曾牟・曾宰・曾布・曾肇。


  1. ^ 劉向 著、常石茂 訳『戦国策3』平凡社〈東洋文庫〉、1967年3月、290-293頁。ISBN 4582800866 
  1. ^ 年十二、試作六論、援筆而成、辞甚偉。


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