明治維新と梅若一門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 03:10 UTC 版)
明治維新期、観世宗家は徳川家とともに静岡に本拠を移した時期があったが、1875年(明治8年)に東京に復帰した。この時期に江戸・東京で猿楽(現在で言う能楽)を守り続けたのが、観世流では初世梅若実と五世観世鐵之丞であった。初世梅若実は1828年(文政11年)に熊谷の鯨井家に生まれたが、梅若六郎家に跡継ぎとなる男子がおらず、また梅若六郎家が鯨井家に巨額の借金をしていたため、鯨井家の子供が梅若六郎家を継ぐことで借金を棒引きにするという取引がなされ、梅若六郎家に養子入りしたという経歴を持っていた。
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