明治以降の財産状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:44 UTC 版)
1876年(明治9年)に旧来の家禄に代えて発行された金禄公債の額は5万9913円である。旧公家の華族の中では三条家(6万5000円)、岩倉家(6万2298円)、九条家(6万1071円)に次ぐ4位の額だが、旧公家華族の公債額は旧大名華族のそれとは天と地ほどの格差がある(旧大名華族トップの島津家は132万2845円)。 近衛家は忠熙・忠房・篤麿の三代にわたる派手な政治活動の結果、借財がかさみ、1877年(明治10年)下半期には借金額が1万5000円に達して旧公家華族で一位になっている。近衛文麿は「父の政治活動は、一方借財を作る結果になり、私が14歳で父と死別したころは、私の家の財政は決して豊かなものではなかった。(中略)ある金持のごときは、こちらが現金で返すことができないので、抵当に掛軸など差出すと、それを無慈悲に二度も三度も突っ返す」と回想している。
※この「明治以降の財産状況」の解説は、「近衛家」の解説の一部です。
「明治以降の財産状況」を含む「近衛家」の記事については、「近衛家」の概要を参照ください。
- 明治以降の財産状況のページへのリンク