旧澤原家住宅(広島県呉市長ノ木町)
名称: | 旧澤原家住宅(広島県呉市長ノ木町) |
ふりがな: | きゅうさわはらけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 2468 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2005.07.22(平成17.07.22) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 広島県 |
都道府県: | 広島県呉市長ノ木町2-9 |
所有者名: | |
指定基準: | (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行17.8m、梁間15.4m、2階建、西面入母屋造、東面切妻造落棟、妻入、四面庇付、北面部屋、南東隅台所附属、本瓦、桟瓦葺及び鉄板葺、四面突出部 桁行6.7m、梁間4.8m、入母屋造、便所及び門塀附属、桟瓦葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 宝暦6(1756) |
解説文: | 旧澤原家住宅は,呉市街の北方の山裾にある。 澤原家は,屋号を澤田屋と称した商家で,代々庄屋などの要職を務めた。 宅地は,街道を挟んだ東と西に構える。主屋等は東側にあり,主屋南に前座敷,表門,三角蔵,北に元蔵を配する。街道の西側には三ツ蔵と新蔵がある。 建築年代は主屋が宝暦6年(1756),前座敷と表門が文化2年(1805),三ツ蔵が文化6年(1809),元蔵が天保4年(1833)と判明する。 主屋は,主体部が妻入の二階建で,四面に下屋を廻した形式である。前座敷は,藩主の休憩所,宿所として建てられたもので,御成間がある。 旧澤原家住宅は,主屋をはじめとして建設年代が明らかな建物が数多く残り,中国地方を代表する大規模商家の一つとして,重要である。 主屋は規模が大きく発達した平面をもち,質の高い書院造の前座敷や三棟並列型の三ツ蔵は,類例が少ない特徴ある建物である。 |
旧澤原家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 04:31 UTC 版)
旧澤原家住宅(きゅうさわはらけじゅうたく)は、広島県呉市にある歴史的建造物(民家)。同家は、屋号を澤田屋と称し、代々庄屋などの要職を務めた。国の重要文化財。外観のみ見学可能で、基本的に内部は一般公開されていない。
- ^ a b c d e f g h i “旧澤原家住宅|呉市の文化財”. 呉市. 2017年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “広島県立文書館だより 第17号” (PDF). 広島県立文書館 (2001年1月). 2017年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “広島県の文化財 - 旧澤原家住宅”. 広島県教育委員会. 2017年1月14日閲覧。
- ^ “アニメ映画「この世界の片隅に」が異例のヒット…その秘密はCFだった”. 産経新聞 (2017年1月4日). 2017年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『沢原俊雄伝』60 - 61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月19日閲覧。
- ^ 崇徳学園編『崇徳学園百二十年史』
- ^ “沢原為綱”. コトバンク. 2017年1月14日閲覧。
- ^ 平成17年7月22日文部科学省告示第122号
- ^ “宇都宮黙霖翁終焉の地”. 呉市. 2017年1月14日閲覧。
- ^ a b “旧澤原家住宅”. 広島県. 2017年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 文化庁文化財保護部「新指定の文化財」『月刊文化財』502、第一法規、2005、pp.19 - 22
- ^ 構造形式、規模、屋根葺き材等の記述は重要文化財指定時の官報告示(平成17年7月22日文部科学省告示第122号)による。『月刊文化財』502号の本住宅の解説文では主体部の規模を「桁行13.2メートル、梁間9.6メートル」としているが、これは四方の下屋部分を含まない値である(同書20ページ所載の平面図を参照)。
- ^ 『月刊文化財』502号21ページ所載の平面図を参照
- 1 旧澤原家住宅とは
- 2 旧澤原家住宅の概要
- 3 文化財指定
- 4 交通
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