旧憲法下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 21:04 UTC 版)
「内閣総理大臣臨時代理」の記事における「旧憲法下」の解説
旧憲法下では、内閣総理大臣が死亡したり、単独で辞任したりして欠けた場合、次の内閣が組閣されるまでのあいだ、閣内の大臣や班列が内閣総理大臣を臨時に兼ねることを「臨時兼任」、病気や負傷などで執務不能になったり、緊急時に消息や安否が不明になったりした場合、閣内の他の大臣や班列が内閣総理大臣の職務を臨時に代行することを「臨時代理」と呼んで区別していた。こうした場合には宮中席次で内閣総理大臣に次ぐ順位の者が総理大臣を代行するのが常であった。この原則に従って五・一五事件で、犬養毅が暗殺された際は、臨時兼任が発令 され、二・二六事件では、岡田啓介は、反乱軍に襲撃されるが襲撃グループが秘書官松尾伝蔵を岡田と誤認・殺害したことで難を逃れたため(反乱軍は岡田本人を殺害と発表。)、臨時代理が発令されている。この発令の経緯について、岡田首相の秘書官であった迫水久常は、岡田の生存を確認後、このまま放置しておくと臨時兼任が発令されるが、その場合には首相が脱出しても総理大臣としての立場がなくなってしまい、事故のため職務がとれない場合の辞令にする必要があるとして内閣官房総務課長に要請し臨時代理が発令されたとしている。この方面に知識のある人たちから、辞令の形式が間違っているとの抗議があったが、さすがに総理の生存までよみとった人はなかったようだともしている。結果的に生存までよみとった者はなかったが発令の段階ではまだ岡田啓介は、首相官邸内に隠れていた段階(脱出は翌日の27日)であり、この違いを反乱軍が認識すれば危険な状態であった。 新憲法下ではこの区別がなくなり、他の閣僚が内閣総理大臣の職務を代行することを一律に「臨時代理」と呼んでいる。
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