大日本帝国憲法
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大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、旧字体:大日本帝󠄁國憲󠄁法)は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された日本の憲法 [注釈 1]。
注釈
- ^ 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。1936年(昭和11年)から第二次世界大戦終戦までは外交文書において「大日本帝国」に統一されたが、それ以外では「日本国」「日本」などの名称も使用された。
- ^ 制定の過程において新聞紙上及び民権運動家から様々な批判があったにもかかわらず、発布に際しては国を挙げた奉祝ムードにあったことを、当時、東京大学医学部で教鞭を執っていたベルツが記している(『ベルツの日記』)。
- ^ 全部改正であるにもかかわらず、「大日本帝国憲法の全部を改正する。」旨の記載がないのは、このような記載をするようになったのが、日本国憲法制定後のためである。また、廃止制定方式の場合には、附則に「○○法は、廃止する。」旨の記述をしなければならないが、本草案中には「大日本帝国憲法は、廃止する。」という文言はない。なお、このことは、日本国憲法についても同様である。
- ^ 衆議院には内閣不信任権が憲法で明記されている。
- ^ 大日本帝国憲法第8条2項は、緊急勅令は「次の会期に於て帝国議会に提出すべし。もし議会に於て承諾せざるときは、政府は将来に向けてその効力を失うことを公布すべし」としており、議会がその勅令を承認しない場合は将来に向けて効力を停止する勅令が発布される。
一例として、日本政府は1919年(大正8年)、ベルサイユ条約締結によりドイツ帝国の膠州湾租借地の譲渡を受ける予定で、締結5日前の6月23日に緊急勅令を発し、日本政府はドイツ、オーストリア、ハンガリー及びトルコの個人や法人の財産を管理できるものとしたが、当該勅令は帝国議会が承諾せず、翌年3月25日に効力停止の勅令が発布された[31]。当時、中華民国でパリ講和反対デモ(五四運動)が進行していたこと、結果的に中国がベルサイユ条約への調印(署名)を拒んだためであると見られる。
出典
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- ^ 美濃部達吉 1927, p. 11.
- ^ “五日市憲法草案 現代語訳 「第一篇 国帝」(2) | あきる野デジタルアーカイブ”. archives.library.akiruno.tokyo.jp. 2023年11月10日閲覧。 “18.国帝の身体は神聖にして侵害することはできない。また、責任を負うべきところはない。 国政に関して、もし国帝が国民に対して過失があったときはその執務担当大臣のみが責任を負う。 19.国帝は、立法・行政・司法の3部門をとりまとめ、管理する。 21.国帝は、海陸軍の全体を監督し率いる。軍事に携わる官吏を任官し、軍隊を整備して必要に応じて軍隊を派遣することができる。 ただし軍隊内の昇級や免職、退役については法律で定めた規則にしたがって国帝がこれを決める。”
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- ^ “岩倉具視の憲法構想”. 国立国会図書館. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料 (明治憲法の制定過程について)”. 2023年3月25日閲覧。 “まず、井上毅により、明治 20 年(1887)3 月に草案の初稿が、次いで 5 月に最初の体系的な憲法草案(甲乙 2 案)が作成された。草案の作成に当たっては、井上とロエスレル及びモッセとの間で討議がなされたようである。 このうち、甲案は正式草案と呼ぶべきもので「最初ノ命意ニ依リ君主ノ特権幷ニ他ノ綱要ノ部分ヲ「プレアンブル」ニ譲リ務メテ条章ヲ簡省ニスルノ方嚮ヲ取」ったもので、7 章 72 ヵ条からなるものであった。 これに対し、乙案は「務メテ許多ノ条章ヲ列挙スルヲ以テ目的トシ」また「私39意ヲ以テセス」との方針の下に作成されたもので、8 章 79 ヵ条からなるものであった。 この井上による草案とは別に、伊藤の命を受けたロエスレルによる草案(8章 95 ヵ条)も、ほぼ同じ時期に作成された。 伊藤は、以上の 3 草案を携え、伊東巳代治と金子堅太郎を随えて、神奈川の夏島にあった別荘において集中的な検討を行った(後日、井上も合流した。)。 この夏島における精力的な検討作業の結果、同年の 8月中旬には、7章 89 ヵ条からなる草案(「夏島草案 」又は「八月草案」と称される。)が取りまとめられた。”
- ^ a b フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 5』講談社、2004年。
- ^ 伊藤之雄「明治天皇」|2006‐9‐10|p=248‐272
- ^ 柴田勇之助 編、「大日本憲法發布の詔勅」『明治詔勅全集』、p26-27、1907年、皇道館事務所。[1]
- ^ 瀧井一博. “グローバル・コンテキストのなかの明治憲法”. 国際日本文化研究センター. p. 158. 2023年11月10日閲覧。 “当時の民権派の新聞・雑誌も総じて、憲法の発布を歓迎している。「余は大日本帝国憲法を良憲法と思ふなり、聞しに優る良憲法と思ふなり」とは、改進党の論客高田早苗の評である。”
- ^ 国立国会図書館. “以下の記事に関して、掲載箇所を教えて頂けないでしょうか。①『東京朝日新聞』明治22年2月7日付 社説...”. レファレンス協同データベース. 2023年9月1日閲覧。
- ^ 井上毅 1891.
- ^ “国会開設百年”. 明治聖徳記念学会. pp. 10-11. 2024年1月14日閲覧。
- ^ 渡部昇一『世界史に躍り出た日本』 第5巻 明治編、ワック〈渡部昇一「日本の歴史」〉、2010年5月21日。ISBN 978-4-89831-144-8。
- ^ #ピゴット及び#1890年勅令221。
- ^ 穂積八束「新憲法ノ法理及憲法解釈ノ心得」 (上杉慎吾編、穂積八束博士論文集、大正2)[2]p.p.1-10
- ^ 直接の引用は(宇都宮純一「『内田貴・法学の誕生 ─ 近代日本にとって「法」とは何であったか』を読む(筑摩書房二〇一八年三月)」『金沢法学』第63巻第2号、金沢大学人間社会研究域法学系、2021年3月、11頁、CRID 1390572175155101312、doi:10.24517/00061472、hdl:2297/00061472、ISSN 0451-324X。(PDF-P.12)}
- ^ 大正天皇 1920.
- ^ この章は、ベン・アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎(翻訳)、31頁。(第8章1『日本王朝の太古的古さ』)を参照。
- ^ この章は、「皇室典範に関する有識者会議」第7回の鈴木正幸・神戸大学副学長による説明を参照。
- ^ この概念の先駆は辻清明である。第一論文「統治構造における割拠性の基因」の初出は『国家学会雑誌』58巻1号(昭和19年)、「新版・日本官僚制度の研究」1969年序ⅲ~ⅳページ。
- ^ 西本筆、「文部行政の歴史的研究序説」『北海道大学教育学部紀要』1990年2月 54巻 p.97-111(P.98), 北海道大學教育學部。
- ^ 辻の階統制と割拠性についての解説としては 小西徳慶、「日本におけるセクショナリズムと稟議制の源流-「日本社会」論を前提として-」『政經論叢』 2011年3月 79巻 3-4号 p.115-160 NAID 120005258999, 明治大学政治経済研究所。
- ^ 政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会(第五回)八木秀次参考人[3][4]
- ^ 大河内繁男、「統合調整機能の強化:総合管理庁講想と総務庁」『上智法學論集』 1985年 28巻 1-3号 p.133-154, NCID AN00115768, 上智大學法學會
- ^ “令和3年2月10日 「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ | 令和3年 | 総理の指示・談話など | ニュース”. 首相官邸ホームページ. 2021年11月2日閲覧。
旧憲法
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大日本帝国憲法下においては、天皇の大権としての独立命令権が個別に定められていた。具体的に認められていた独立命令は次のとおり。 公式令 - 天皇は法律の公布を命じる権限を有することから(大日本帝国憲法第6条)、その方式を定めることができるものとされた。勅令である。 警察命令 - 天皇は公共の安寧秩序を保持するために必要な命令を発し、または発せさせる(大日本帝国憲法第9条)。勅令と行政官庁の命令がある。 助長行政命令 - 天皇は臣民の福利を増進するために必要な命令を発し、または発せさせる(大日本帝国憲法第9条)。勅令と行政官庁の命令がある。 官制および官吏令 - 天皇は行政各部の官制および文武官の俸給を定め、文武官を任免する(大日本帝国憲法第10条)。勅令である。 軍制令 - 天皇は陸海軍の編成および常備兵額を定める(大日本帝国憲法第12条)。当初は勅令として定められていたが、後に軍令として定められた。 栄典令 - 天皇は、栄典に関する制を定める(大日本帝国憲法第15条)。勅令である。なお、爵位については(憲法ではなく)皇室典範に基づき皇室令で定められた。 恩赦令 - 恩赦に関する規定は刑法および刑事訴訟法に定めるところであったが、刑法および刑事訴訟法の改正に際してその規定は除かれ、大正元年、勅令で恩赦令を定めた(大日本帝国憲法16条)。 このほか、大日本帝国憲法の規定によらずに慣習上特に勅令で法規を定めることができたものとして、学制および暦時令がある。また、 貴族院の組織を定める貴族院令(大日本帝国憲法34条)は、通常の勅令とは異なり、貴族院の協賛を得てはじめてこれを定めることができた。
※この「旧憲法」の解説は、「独立命令」の解説の一部です。
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「旧憲法」の例文・使い方・用例・文例
- 旧憲法で,士族の上に置かれた身分
- 旧憲法において,議院が政府に対して意見や希望を述べる文書
- 旧憲法で,議会が政府に申し出る
- 旧憲法において,皇族以外の臣民としての身分
- 旧憲法下で,天皇の言葉として法律などの冒頭に記された文章
- 旧憲法で,天皇が国家機関に対して下した命令
- 旧憲法において,軍隊の統率に関する天皇の大権
- 旧憲法下において,天皇が法律に基づかないで発した命令
- 旧憲法における日本の爵位の一つで,侯爵の下,子爵の上の位
- 旧憲法下で,判任官という最下級の官吏
- 旧憲法下において,三大節という,三つの大祭日
- 旧憲法下において,前年度の予算を本年度の予算として施行したもの
- 旧憲法において,多額納税者議員を互選する資格をもつ人
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