日本への広まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 00:01 UTC 版)
日本では平賀源内が『物類品隲』(1763年)に紹介した。伊藤若冲が『動植綵絵』の「群漁図(鯛)」(1765年から1766年頃)のルリハタを描くのに用いたのが確認されている最初の使用例である。その後、1826年頃から清国商人がイギリスから輸入した余剰を日本へ向けて大量に輸出・転売したために急速に広まった。なお、葛飾北斎が1831年に描いた「富嶽三十六景」において紺青を用いて描いた濃青が評判になり、以降全国に広まったとする俗説が存在するが、実際には大量輸入による値段下落をきっかけに流行となった紺青の絵具を、歌川広重ら当時の多数の絵師が使用し、北斎もまたこれを利用したうちの一人に過ぎないのが実情であると見られている。北斎に先駆けて、日本で初めてベロ藍 を用いた藍摺絵(あいずり-え)を描いたのは、北斎の弟子の渓斎英泉である。
※この「日本への広まり」の解説は、「紺青」の解説の一部です。
「日本への広まり」を含む「紺青」の記事については、「紺青」の概要を参照ください。
- 日本への広まりのページへのリンク