日本の屋台
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江戸は元々男性の単身赴任者が多い町であったが、明暦の大火以降労働者が流入して外食の需要が高まっていた。それに伴って煮売り、焼売りと呼ばれる料理屋が急増した。店舗で商う場合には「店にて売り」と呼ばれたが、大半は担い売りと呼ばれる路上営業の屋台であった。 握り寿司や蕎麦切り、天ぷらといったすぐに提供できる食べ物が屋台で提供された。その後におでん、焼き鳥店も出現し、軽食やおやつの外食が広がった。 屋台は、寺社の門前や大店の立ち並ぶ通りといった人の集まりやすい場所に出現した。江戸の各所に設定されていた広小路や火除地には、床店と呼ばれる移動可能な店舗や屋台が密集し賑わっていた。また、港や河岸といった船が密集する場所では、売々船(うろうろぶね)呼ばれる水上の屋台が船員を相手に飲食物を提供していた。 屋台の形態は、国や地域によって様々なものがある。初期の形態としては天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが、商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力・自転車・オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。
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日本の屋台
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