日本のスタジオ・ミュージシャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:25 UTC 版)
「スタジオ・ミュージシャン」の記事における「日本のスタジオ・ミュージシャン」の解説
スタジオミュージシャンには特定の芸能プロダクションやレコード会社に所属するものと、フリーランスで活動するものが存在する。前者はかつてのビーイング所属ミュージシャンに代表されるように、プロダクションやレーベルの斡旋により複数のミュージシャンのレコーディングやライブに参加している。定期的に仕事の斡旋がある一方で、ギャランティについてはプロダクションによる仲介手数料が差し引かれたものがミュージシャンに渡されることになる。 一方、フリーランスのスタジオ・ミュージシャンはギャランティの満額を手にすることが出来る一方、基本的には独力で仕事を探すことになる。ただし、日本スタジオミュージシャン連盟 (SMA of JAPAN) のようにスタジオ・ミュージシャンと音楽プロデューサー・レーベルとの間を取り持つ会員制の斡旋組織も存在する。また、SMC(スタジオ・ミュージシャンス・クラブ)という、スタジオ・ミュージシャンのランクのスケーリングや著作権関係の権利を主張するための任意団体を母体に、NPO法人「レコーディング・ミュージシャンズ・アソシエイション・オブ・ジャパン (RMAJ) 」を結成したものもいる(理事長はヴァイオリニストの篠崎正嗣)。また、江藤勲(ベース)、矢島賢、深町純、田中清司、山木秀夫、村上ポンタ秀一、後藤次利、デビュー前のCharなどは代表的なスタジオ・ミュージシャンである。芳野藤丸のSHŌGUNなどは、スタジオ・ミュージシャンが結成したバンドだった。矢島賢は山口百恵「プレイバック・パート2」で、芳野藤丸は郷ひろみ「よろしく哀愁」で、それぞれリード・ギターを担当し、秀逸なギター・ソロを披露している。
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