日本でのデビュー以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:02 UTC 版)
「宇多田ヒカル」の記事における「日本でのデビュー以前」の解説
1983年1月19日に、アメリカ合衆国ニューヨークに生まれた。親の仕事の関係で、小さい頃から東京とニューヨークを頻繁に行き来していたという。家族の生活は音楽を中心に回っていたといい、宇多田は小学校低学年の頃からスタジオで宿題をしたりご飯を食べたりソファーで寝たりしていた。その中で、「光、ここちょっと歌ってくれない?」と頼まれ、親の楽曲で歌ったりすることもあった。 1990年に藤圭子(RA U)、宇多田照實(SKING U)、宇多田ヒカル(H。IKASO U)の家族3人ユニット「U3」を結成。1993年9月17日に当時10歳の宇多田ヒカルもボーカルとして参加し、ニューセンチュリーレコードの前身であるセンチュリーレコードからU3としてロック曲を収録したスタジオ・アルバム『STAR』を発売して日本デビューしている。またこの頃、「自分で作ってみたら」と言われて「I'll Be Stronger」という楽曲で始めて作詞作曲した(英語詞)。 1995年になると宇多田ヒカルが母親の代わりにメインボーカルとなり、「cubic U」名義としてインディーズのレコードレーベルから作品をヨーロッパやアメリカ合衆国で発売し、翌年にかけて合計3枚のレコードと1枚のマキシシングルを発表。日本では1996年9月26日には日本クラウンから藤圭子 with cubic Uとしてシングル「冷たい月 〜泣かないで〜」を発売。1997年1月、アメリカで「Cubic U」としてシングル「Close To You」(「遙かなる影」のカバー)、次いでアルバム『Precious』を発売。 同年秋、東京のスタジオでレコーディングしていたところ、隣のスタジオにいたディレクターの三宅彰の目に留まり、「日本語でやってみない?」という誘いにより日本デビューが決まった。なお、Cubic Uの日本盤として1998年1月16日にシングル、1月28日にアルバムを発売しているほか、NHK-BS2の『新・真夜中の王国』でテレビ初出演している。
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