日常会話との乖離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:14 UTC 版)
日常会話における例を挙げたが、注意しなければならないのは、(いわゆる「古典的な」)論理における「ならば」と日常会話における「ならば」は同一ではない、ということである。まず、日常会話における「ならば」は、しばしば時間的な依存関係(因果関係)を内包する。例えば「薬を飲まなければ病気が治らない」の対偶は、逐語的には「病気が治るならば薬を飲む」であるが、この二つは明らかに意味が異なる。時間的な依存関係に注意して「病気が治った人は薬を飲んだはずだ」と言えば元の文の意味に近い。 次に、日常会話における前件は、まだ真偽が確定していない事項か、真偽が変数に依存することが普通である。すなわち、偽であることが分かっている命題を前件とすることが、日常会話では通常あり得ないのであって、それが論理包含の定義を分かりにくいものとしている。例えば、身長150cmで体重50kgの人が次のように言ったとしよう。「もし私の身長が160cm以上ならば私の体重は40kg以下である。真理値表より嘘ではありませんよ。」日常会話としては意義がないが、論理的には全く正しい。 結局のところ、(古典的な)論理における「ならば」は、日常会話での「ならば」と通じる部分もあるためにそのように名付けられたが、似て非なるものであると解釈するのが安全であろう。定義の繰り返しになるが、論理における「P ならば Q」は、「P でない、と Q である、の少なくとも一方が正しい」の短い言い換えなのである。以上のようなことは無論、現代の論理学が放置するようなものではなく、日常会話での「ならば」をうまく扱えるような論理のシステム(規則や解釈など)は、現代の論理学が研究の対象としている内容の一つである。
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