教皇領拡大戦とオットーの戴冠
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「ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇領拡大戦とオットーの戴冠」の解説
苦労知らず、世間知らずな若者であったヨハネス12世は、教皇になったあと、周辺の事情も考えずに無謀な教皇領拡大に乗り出して、のちにイタリア王ベレンガーリオ2世(950年 - 963年)となるイヴレア辺境伯ベレンガーリオと戦って大敗を喫し、逆に攻め込まれる羽目となった。窮したヨハネス12世は、東フランク王国の国王オットー1世に救援を要請し、彼の援軍をローマに迎えることで窮地を脱した。 そして、この見返りとして962年2月2日、オットーに対し「ローマ皇帝」の帝冠を与えた。これが、神聖ローマ帝国の始まりである。 新皇帝オットー1世は新たにイタリアの大部分を教皇領として寄進したが、同時に「皇帝に忠誠を宣誓してからでなければ教皇職には叙任されない」と定めた。ここに至ってオットー1世に反意を抱いたヨハネス12世は、今度は旧敵ベレンガーリオと手を結んだが、これはオットー1世の臣下によって事態が露見した。ここに至って教会内部でもヨハネス12世に対して反発の声があがり、不満を持つ者も多く現れて、963年、ヨハネスは皇帝オットー1世によって教皇廃位を宣告され、ローマから追放された。 後任の教皇として、レオ(レオ8世)が即位した。
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