教皇領拡大戦とオットーの戴冠とは? わかりやすく解説

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教皇領拡大戦とオットーの戴冠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 07:45 UTC 版)

ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇領拡大戦とオットーの戴冠」の解説

苦労知らず世間知らず若者であったヨハネス12世は、教皇になったあと、周辺事情考えず無謀な教皇領拡大乗り出して、のちにイタリア王ベレンガーリオ2世950年 - 963年)となるイヴレア辺境伯ベレンガーリオ戦って大敗喫し逆に攻め込まれる羽目となった窮したヨハネス12世は、東フランク王国国王オットー1世救援要請し彼の援軍ローマ迎えることで窮地脱した。 そして、この見返りとして962年2月2日オットー対しローマ皇帝」の帝冠与えた。これが、神聖ローマ帝国始まりである。 新皇オットー1世新たにイタリア大部分教皇領として寄進したが、同時に皇帝忠誠宣誓してからでなければ教皇職には叙任されない」と定めた。ここに至ってオットー1世反意抱いたヨハネス12世は、今度は旧敵ベレンガーリオ手を結んだが、これはオットー1世臣下によって事態露見した。ここに至って教会内部でもヨハネス12世に対して反発の声があがり、不満を持つ者も多く現れて、963年ヨハネス皇帝オットー1世によって教皇廃位宣告されローマから追放された。 後任教皇としてレオレオ8世)が即位した

※この「教皇領拡大戦とオットーの戴冠」の解説は、「ヨハネス12世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
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