抗日と逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 01:33 UTC 版)
1941年12月、太平洋戦争が始まると、陳は同月20日に英トーマス総督と協議し、中華総商会を通じて同月30日にシンガポール華僑抗敵動員総会を結成しその主席に就任、華僑抗日義勇軍を組織して戦線へ送った。 1942年2月、陳はシンガポールの陥落前にシンガポールを脱出して 東部ジャワ・マランの集美学校卒業生の家に潜伏し、終戦まで潜伏生活を続けた。戦時中の日本では陳は「南洋華僑社会の大親分、黒幕」とみなされ、シンガポール華僑粛清事件では、「陳嘉庚の支持者」は処刑対象者とされ、「陳嘉庚を知っているか」との質問に「知っている」と答えて処刑された人がいた。
※この「抗日と逃亡」の解説は、「陳嘉庚」の解説の一部です。
「抗日と逃亡」を含む「陳嘉庚」の記事については、「陳嘉庚」の概要を参照ください。
- 抗日と逃亡のページへのリンク