戸田一西
戸田一西
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/17 09:38 UTC 版)
戸田 一西(とだ かずあき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。近江大津藩主、同膳所藩初代藩主。大垣藩戸田家初代。多米戸田氏の戸田氏光の長男。
注釈
- ^ 新井白石『藩翰譜』では、元は戸田氏ではないとする説を紹介している。また、『今橋物語』『牛窪密談記』などの江戸時代初期編纂の記録類に享禄2年(1529年)松平清康との下地合戦(豊橋市下地町)で今橋牧野家が敗亡する際に一族の牧野新三郎(新三)が生き延び、赤岩村の法言寺(現在の愛知県豊橋市多米町字赤岩山の赤岩寺)に逃れ、後に戸田氏を嗣いだという記述がある。越後長岡藩牧野家の『牧野家系図』や関係文書には牧野古白の弟として牧野成村(新蔵・新蔵左衛門尉)と記し、その子・成宗(新二郎)が今橋城落失のおり赤岩邑の法言寺に逃れ、後に戸田氏を嗣いだとする。しかし、これらの人物が戸田一西と同一であるかは明らかにされていない。
- ^ 『八名郡史』によれば、渥美郡赤岩村の法言寺の永禄11年3月(1568年4月)棟札に記された戸田左門は一西と推定されている。
出典
固有名詞の分類
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