戦闘後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/03 03:56 UTC 版)
「フィニステレ岬の海戦」の記事における「戦闘後の動き」の解説
海戦の結果はフランスの敗北であった。15隻のイギリス艦隊は20隻のフランス・スペイン艦隊と戦い、2隻のスペイン艦を捕獲した。イギリスの損失は、将兵の戦死39名、負傷159名であったのに対し、フランス・スペイン側の死傷者は476名に達した。最も重要なことは、ヴィルヌーヴはそのすべての目的に失敗したということである。彼はアイルランドに軍隊を上陸させることができず、ナポレオンの「アルメ・ダングルテール」もなすところなくブローニュで待機し続けなければならなかった。 しかし、イギリスの民衆と海軍本部はこの海戦をそのようには見なかった。カルダーは司令官を解任され、軍法会議に掛けられて、7月23日と24日の行動について怠慢の廉で厳しい譴責を受けた。彼は二度と海上勤務に就くことはなかった。 結果に失望したナポレオンは、イギリス侵略の計画を断念せざるを得なかった。その代わり、「アルメ・ダングルテール」は「グランダルメ(Grande Armée、大陸軍)」と名を変え、8月27日、オーストリアとロシアの脅威に対処するためにブローニュを出発した。戦いの数週間後に、彼はこう書いている:「グラビーナは戦場での決断において天才的なものを持っている。ヴィルヌーヴにその資質があれば、フィニステレの海戦は完勝を収めていただろう。」 ヴィルヌーヴとその連合艦隊はそのままカディスに留まり、10月21日のトラファルガーの海戦で壊滅することになる。
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