戦略的考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:18 UTC 版)
「メッセネの戦い (第二次シケリア戦争)」の記事における「戦略的考察」の解説
ヒミルコはメッセネに基地を置くことはしなかったが、カルタゴから遠く離れた都市を維持する自信がなかったものと思われる。ヒミルコはメッセネを脱出した人々が逃げ込んだ要塞をつぶしていこうとしたが、それには時間がかかりすぎることが判り、シュラクサイ攻撃が遅れてしまうのでこれを中止した。ディオニュシオスに時間を与えると、シュラクサイが強化される恐れがある。カルタゴ軍の最終目的はシュラクサイに勝利することであり、メッセネは前座に過ぎなかった。カルタゴ本国には常備軍がなく、援軍を送るには傭兵の募集からはじめることとなり、時間がかかった。かといって、ヒミルコ自身の軍の一部をメッセネ守備に裂くと、ディオニュシオスを攻撃する兵力が不足してしまう。このため、メッセネを略奪・破壊した後、カルタゴ全軍がシュラクサイに向けてシケリア東岸沿いに進軍した。艦隊もそれに随伴した。ディオニュシオスは彼の権力を拡大する過程で、ナクソス(現在のジャルディーニ=ナクソス)とカタナ(現在のカターニア)を破壊し、ナクソスをシケル人に、カタナをカンパニア傭兵に与えていた。したがって、ヒミルコにしてみれば、南岸ルートを通るより、北岸ルートを通るほうが障害が少なかった。もちろん、メッセネを離れた後に、背後のギリシア要塞からの敵対行動を完全に無視することはできなかった。彼がとった解決策は間接的アプローチと呼ばれる種類のもので、単純かつ巧妙なものであった。
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