戦後の運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 06:47 UTC 版)
戦後の混乱に対応するため、1946年に組織改革を行なうとともに翌年には社名を共立窯業原料株式会社に改称した。同年、築地工場を拡張し、翌1948年には名古屋鉄道からも付近の土地を買収し、その一方で人員拡充に対応するため本社を名古屋市中村区日置通に移転した。この時期には福島県から宮崎県まで、国内各地で鉱業権や採掘権の買収を積極的に進めている。1949年には名古屋証券取引所に株式を上場した。しかしドッジラインによるデフレーションが起きると生産縮小を余儀なくされ、1949年後半には人員削減を行っている。また翌年には中村区の本社を森村商事に売却し、現在の港区築三町に再び移転した。
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