戦後のバハマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 05:51 UTC 版)
戦時の飛行場は1957年にナッソー国際空港になり、大衆観光事業の発展につながった。特に近隣のハバナが1961年に米国の旅行者を締め出したことでバハマへの観光熱がさらに加速した。グランド・バハマ島にあるフリーポート(英語版)は1950年代に自由貿易区に指定され、バハマ第2の都市となった。銀行プライバシー(英語版)が行き届いており、法人税と所得税がなかったこともありオフショア金融業が大きく発展した。 『007』シリーズ第4作の『007 サンダーボール作戦』はバハマをロケ地の1つとした。 1980年代初期までにバハマが麻薬貿易の中心地の1つになり、アメリカ合衆国に輸入されるコカインの9割がバハマを通っているとする説もあった。1974年、キューバとの外交関係を樹立した。その10年後、キューバからの移民増がバハマの資源を圧迫したが、キューバは本国送還状を出すことを拒否した。 2004年9月、バハマはハリケーン・フランシス(英語版)に襲われ、大きな損害を出した。そのわずか3週間後に今度はハリケーン・ジーンがバハマを襲い、木を根こそぎにしたり、窓を吹き飛ばしたり、アバコ諸島(英語版)やグランド・バハマ島の町を水浸しにした。そして、洪水が退くと、ボートがあちこちの道路に残り、家屋が壊された。 バハマ学院(The College of the Bahamas)は1974年に設立され、バハマの高等教育を提供した。バハマ学院は2016年にバハマ大学(英語版)に昇格、バハマ諸島に散らばる3キャンパス、教育センターと研究センターで学士、修士、短期大学士の課程を提供した。 観光業とオフショア金融業を2本柱としたバハマの経済は1950年代より繁栄していたが、教育、医療、住宅、国際麻薬密輸、ハイチからの密入国などの問題も残っている。
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