戦国時代の荘園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)
戦国時代の戦国大名は、守護大名以上に、地域支配を強めていった。戦国大名は武力で自らの支配地域を確立していったため、従前の権利関係を解消して、支配地域を家臣や寺社へ分け与えることが多かった。その中で荘園も、戦国大名に蚕食され徐々に減少していった。荘園の所有を巡る紛争が発生しても、それを裁定しうる機関が存在しないため、実力を有する者が支配するようになったのである。中には土佐の一条氏(土佐一条氏)のように、荘園領主である中央貴族が荘園支配を維持するため、荘園へ下向し、そのまま土着して戦国大名となってしまった例もある。また、15世紀後半ごろから、庶民や現地の代官たちの荘園に対する見方が変わり、荘園を共同体として維持管理する考えから、自分たちの共同体である村などに荘園を組み込んでいく考えに移行していく。
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