戦国時代の栗原氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 10:13 UTC 版)
戦国時代には甲斐国の有力国人として武田氏の甲斐統一に抵抗し、武田信昌の子息である守護・武田信縄と油川信恵の対立においては「栗原大輔」が信恵方に加担しており、これは栗原信遠に比定される。武田信縄・油川信恵の対立は明応7年(1498年)に武田信縄方優位のもと和睦が成立するが、明応10年(1501年)2月27日には栗原氏の一族が粛清され、『高白斎記』に拠れば同日に信縄方の「栗原式部大輔」(栗原信友、栗原伊豆守か)が家督を相続したと考えられている。
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