愛吉・すずのバラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:17 UTC 版)
亡くなった久保山愛吉にちなんで、「愛吉・すずのバラ」と称されるバラが、「愛吉・すずのバラをひろめる会」(事務局は日本青年団協議会内に設置)をはじめバラ愛好家による普及活動で株分けされている。これはバラの園芸品種としてその名が登録されているわけではなく、園芸品種「クイーンエリザベス」(世界バラ会議殿堂入り品種、1954年登録)と同品種である。久保山愛吉の妻すずが1993年に亡くなるまで、バラ栽培が趣味であった愛吉の意志を継いですずが育ててきたバラであり、静岡県焼津市の自宅の庭にあった株から挿し木で株分けして育て、事故証言などの平和活動の折に有志に手渡したものをそのように呼称している。なお、種苗法による品種登録の保護期間は30年であるため、1984年以降は株分けの譲渡が可能となっている。 最初に高知県の株が1988年に譲渡された。高知県宿毛市の団体である幡多高校生ゼミナールの高校生が久保山すずから愛吉が生前育てたバラを受け継いで育てているという話を聞き、翌年挿し木にしたバラ苗を譲り受け、それを高知県内の各地に配っていった。2019年に日本母親大会静岡大会の開催をきっかけとして、当時の幡多ゼミの元高校生から静岡県島田市 の在住である日本母親大会県実行委員長の女性に孫株が寄贈され、「愛吉・すずのバラ」が静岡県に里帰りした格好となった。その島田市の株をさらに挿し木で株分けした株の小鉢が2021年3月1日ビキニデーに久保山愛吉の墓前に供えられた後、地元・焼津市の住民2名に寄贈された。 この1988年の株分け以後、久保山すず自身も平和運動の一環として積極的に株分けするようになる。京都市の立命館大学の所有する株は久保山すずの晩年の1992年に寄贈されたものであり、これに株分けの要望が相次いだことを受けて「愛吉・すずのバラをひろめる会」が2002年に発足した。2009年3月1日のビキニデーでは、原水爆禁止日本国民会議熊本県協議会が300本の「愛吉・すずのバラ」を用意して署名活動で配布した。 東京都立第五福竜丸展示館には新日本婦人の会によって久保山愛吉の碑のそばにこのバラが植えられており、これをはじめ東京都渋谷区千駄ヶ谷の日本共産党本部ビル屋上庭園、京都府京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアム、神奈川県横浜市青葉区寺家町ののむぎ地域教育センター平和のバラ園、宮城県石巻市雄勝町の雄勝ローズファクトリーガーデン、大阪府大阪市都島区東野田町の生活協同組合おおさかパルコープ本部ビル、広島県広島市の広島平和記念公園、東京都板橋区立高島第二中学校、東京都渋谷区広尾の私立東京女学館中学校・高等学校 などに植樹されている。 一緒に植えられることの多いバラとしては、横浜米軍機墜落事件犠牲者母子追悼のバラ「カズエ」、「アンネのバラ」、「ピース」が挙げられる。 「愛吉・すずのバラ」と題した歌曲がある。藤谷秀子作詞、神野和博作曲。
※この「愛吉・すずのバラ」の解説は、「第五福竜丸」の解説の一部です。
「愛吉・すずのバラ」を含む「第五福竜丸」の記事については、「第五福竜丸」の概要を参照ください。
- 愛吉・すずのバラのページへのリンク