弓戯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:10 UTC 版)
日本の弓射には遊戯的側面をもったものも存在した。朝廷行事の賭弓(のりゆみ)では、的中場所により賞品が支給され、敗者には罰杯を課すなど遊戯的性格を持っていた。鎌倉時代発祥の「草鹿」も「遊射」とされ、厳格な儀式の射とは異なるものであった。江戸時代には賭弓(かけゆみ)は厳しく規正されたが、一部には免許のもと営業する矢場があった。明治以降も料金を取って弓を引かせる店が繁華街を中心に多く存在したが、今日では数えるほどしか存在しない。 また大弓(通常の長さの弓)より小さい弓を用いるものとして、楊弓という吊り的を射る遊びも上流階級を中心に、後には庶民に親しまれた。江戸時代の楊弓場では矢取りのために女を置き、密かに売春させる例もあった。 宮崎県飫肥(おび)地方(現日南市)発祥の四半的弓道は、戦国時代に農民が半弓を持って戦闘に参加して勝利に貢献した功により、領主から遊戯用として使用を許されたと伝わるもので、同地で愛好されてきた。近年、娯楽・スポーツとして各地に普及しつつある。
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