幻の胸像
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1927年(昭和2年)、富井の学長辞任を受けた立命館大学では、在任27年の功績を讃え、校友会が中心となって胸像を贈る計画が持ち上がった。富井も一旦は胸像制作を受諾したが、あとになって延期を申し出ている。下記は胸像延期要請の書簡の一部である(1928年(昭和3年)1月22日付)。 「極て質素ならば云々と申上候得共其後篤と相考候に小生是迄相当の功績ある人に対しても存命中より其像を作りて表彰することは平素の時論として常に不賛成を表し候たる事のも有之然るに今自分が殆ど有名無実の学長たりにしも不拘存命中より眞先に校内に胸像を置かるることは如何にも心苦しき次第に有之、各位の御厚意は心底より感謝する所にて精神上御請到候と寸毫も相異なる所無之只此際実行は御見合せ被下候....今後或機会に立命館の創立者として多年一日の如く献身的に全力を注ぎ居らるる中川館長の分を作らるる際同時に実行せらるることならば左迄目立ちもせずじで御請出来可申歟と存候に付き兎に角此際は一先御延期の事に相願度」(『立命館学誌』第119号、1928年11月15日、13頁。原文は旧字体カタカナ表記)
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