巫山神女の伝承とは? わかりやすく解説

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巫山神女の伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 08:56 UTC 版)

巫山」の記事における「巫山神女の伝承」の解説

中国語版ウィキソースに本記事関連した原文あります高唐宋玉の「高唐賦」(『文選所収)序に、懐王高唐雲夢沢中国語版にあった台館)に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛受けた、という記述がある。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝はとなり、夕べとなり(旦為朝、暮為行)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。 この故事から、「巫山の雲雨」あるいは「朝雲暮雨」は、男女夢の中で契りを結ぶこと、あるいは男女情交意味する故事成語として用いられるようになった。なお、雲夢沢現在の湖北省武漢市から荊州市にかけての長江北岸一帯にあった沼沢地で、巫山とは離れすぎているため、この賦の舞台現在の巫山ではなく現在の湖北省漢川市南方である、とする説もある。 神女素性について、『文選所収の「高唐賦」では自ら単に「巫山之女」と名乗るだけであるが、『文選所収江淹「別賦」李善注に引く「高唐賦」、および江淹雑体詩」李善注に引く『宋玉集』では、帝の季女末娘)で、名を瑤姫といい、未婚のまま死去して巫山祀られたと説明されている。また、李善引用する襄陽耆旧伝』では、瑤姫赤帝炎帝神農)の末娘とされている。後代伝承であるが、後蜀杜光庭の『墉城集仙録』では、夫人こと瑤姫西王母の第23女で、禹の后となったとされる中華民国学者聞一多は、この伝承を詳細に分析し高唐神女は本来は始祖女神であって高唐神女夏の始祖・女媧、禹の后・塗山氏、殷の始祖簡狄は、もともと同一伝承から分化したものではないか、と推測している。 「瑤姫」も参照

※この「巫山神女の伝承」の解説は、「巫山」の解説の一部です。
「巫山神女の伝承」を含む「巫山」の記事については、「巫山」の概要を参照ください。

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