左脚に関する傷病歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:48 UTC 版)
7歳の時、河中に落ちて左の膝を激しく打ち、後に(天文12年(1543年)頃)刈谷田川で長尾俊景と戦闘した際に、左の内股に矢傷を受け、大きな傷痕を残したという。また、永禄4年から5年(と見られる)に、左脚が気腫になり、歩く時に引きずる様子が見られた。戦場では杖代わりに三尺ばかりの青竹を引っ提げて、軍兵を指揮したという(『常山紀談』)[信頼性要検証]。
※この「左脚に関する傷病歴」の解説は、「上杉謙信」の解説の一部です。
「左脚に関する傷病歴」を含む「上杉謙信」の記事については、「上杉謙信」の概要を参照ください。
- 左脚に関する傷病歴のページへのリンク