居士(禅信奉者)として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:02 UTC 版)
東坡居士と呼ばれ始めたのは、黄州左遷時からである。左遷や貶謫の波乱の中、この状況を利用し、禅的境地に磨きをかけた。モンゴルのチンギス・カンの宰相、耶律楚材こと湛然居士は、「しばしば東坡を真人中の竜と称せり」と述べており、道元禅師は「筆海の真竜なりぬべし」と評価している。蘇軾は廬山の偈に、「溪声は便ちこれ広長舌、山色豈に清浄身にあらざらんや」と述べている。初めから仏教に通じていたわけではなかったが、生死を透脱するためにすべての大地を悟りの導く門として扱うことにより、愁いや痛みを払いのけた。度を超す程仏典に浸ったこともあり、「唐代に香山(白楽天)有り、宋代に子瞻有り」と言われた。
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