小説家ヘイドゥクによるヴァンダの伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 17:57 UTC 版)
「ヴァンダ (ポーランド女王)」の記事における「小説家ヘイドゥクによるヴァンダの伝説」の解説
ポーランドの歴史小説家ブロニスワフ・ヘイドゥク(ポーランド語版)(生没年不詳)は、幼い頃の彼に祖母が物語を語り聞かせた口調を生かした『クラクフ神話伝説物語』(日本語題)を著している。ヴァンダの伝説も、「英雄クラクス伝説」(日本語題)として収録されている。 ヴァヴェル城のクラクスVIII世は50年以上も独身生活を楽しんでいた。ある日クラクスは、若く美しい娘ジーヴィアと出会い、そして二人は結婚した。クラクスはジーヴィアのことを、彼女がヴェネーディ族の出身であったことから「ヴェネーダ」と呼び、間もなく「ヴァンダ」と呼ぶようになった。ヴァンダとクラクスは幸せな日々を過ごしていたが、ある日クラクスが落馬で負った怪我が元で亡くなった。この頃のクラクフでは、王が死ぬと妻や召使いらが殉死し、墓には武器や身の回り品ばかりか犬や馬も一緒に葬る慣わしが続いていた。ヴァンダは城内での会議の席上で、殉死の習慣をなくすことを提案した。間もなくクラクスの葬儀を執り行ったが、それはポーランドでは珍しい質素な様式だった。ヴァンダの事は人々の噂にのぼり、ドイツ人の公爵リディギェル(ポーランド語版)の元にも聞こえていった。ヴァンダへ恋心を抱いていたリディギェルは、贈り物と、「ヴァンダが求愛を受け入れねばクラクフを攻め落とす」との強硬な要求をヴァンダに送った。城では再び会議が開かれ、重臣達はヴァンダに要求を受け入れるよう求めた。しかしヴァンダはこう答えた。自分が死んでも誰も殉死はしなくとも良く、自分は夫に殉死しなかったとの誹りを逃れることができる、と。ヴァヴェル城で盛大な宴を催した後、ヴァンダはヴィスワ川に身を投げて自殺した。リディギェルはひどく落胆した。悲しんだ人々は、亡くなったヴァンダのために、怪物スモークを倒したクラクスIV世が亡くなった時のように高城を建てた。ヴァンダについては多くの伝説があり、王の妻であるとも、王の娘(2人はかなり年齢が離れている)であるとも伝えられているという。
※この「小説家ヘイドゥクによるヴァンダの伝説」の解説は、「ヴァンダ (ポーランド女王)」の解説の一部です。
「小説家ヘイドゥクによるヴァンダの伝説」を含む「ヴァンダ (ポーランド女王)」の記事については、「ヴァンダ (ポーランド女王)」の概要を参照ください。
- 小説家ヘイドゥクによるヴァンダの伝説のページへのリンク