小笠原長親
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小笠原 長親(おがさわら ながちか)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。石見国の国人・石見小笠原氏の第16代当主。父は小笠原元枝。長親と言う名は、石見小笠原氏の始祖である小笠原四郎長親(阿波又太郎)と同名。
- ^ a b 『萩藩閥閲録』巻81「小笠原友之進」では明暦2年(1656年)に82歳で、同じく『萩藩閥閲録』巻94「小笠原弥右衛門」では明暦2年に79歳で死去したと記されているため、逆算すると、生年は天正3年(1575年)あるいは天正6年(1578年)となる。ただし、異本では巻94「小笠原弥右衛門」でも寛永2年に82歳で死去と記しているものもある。
- ^ 『萩藩閥閲録』巻81「小笠原友之進」第2号 年不詳7月25日付小早川隆景書状。
- ^ 光成準治『ミネルヴァ日本評伝選 毛利輝元 ―西国の儀任せ置かるの由候―』(ミネルヴァ書房、2016年)p.305。関ヶ原の戦い後に毛利氏を出奔し他大名へ仕官した例としては、池田輝政に仕官した三吉元高や木梨景吉、黒田長政に仕官した木梨元次、赤間関代官を務めるなど重用されていたが加藤清正へ仕官した粟屋平右衛門等が挙げられている。
- 1 小笠原長親とは
- 2 小笠原長親の概要
- 3 参考文献
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