小田井総合駅構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:10 UTC 版)
名古屋市は、当駅と国鉄瀬戸線(現在の東海交通事業城北線)の小田井駅を直結することで、市北西部の玄関口となる「小田井総合駅」を1992年度(平成4年度)までに整備することを検討していた。 これは、当駅の立体交差化および名鉄犬山線・地下鉄鶴舞線の相互直通運転実現に加え、当駅と小田井駅の間(約300 m)を高架建築物で連絡し、ターミナル機能を充実させることで、両駅を金山総合駅と並ぶターミナル駅として機能させる構想だったが、1987年(昭和62年)ごろから2年間にわたり瀬戸線(城北線)の工事が中断されていたことから、総合駅整備計画も中断していた。その後、1989年12月に瀬戸線(城北線)の建設再開が決まったことから、名古屋市は「これで小田井総合駅の整備計画具体化にはずみがつく」と期待を寄せていた。 公益財団法人名古屋まちづくり公社(2010年)は「1993年度の駅前広場の整備完了をもって、総合駅の整備は完了した」と述べている。また、名古屋市の公式ウェブサイトでは山田学区(西区)の紹介ページにて、「1993年に上小田井総合駅が完成」と言及されているが、当駅と小田井駅の高架建築物による連絡は2020年(令和2年)時点でも実現していない。
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