対カルタゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 10:10 UTC 版)
「マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス」の記事における「対カルタゴ」の解説
第二次ポエニ戦争後のカルタゴの処遇について、ローマは同盟国として扱うことを選んだが、カトは元老院で演説を行うときに常に(全く関係無い話題であっても)「ともあれ、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると思う」と末尾に付け加えた。また、カルタゴ産の見事なイチジクの実を見せて「これほど見事なイチジクを産する国が3日の距離にいる」と言ってカルタゴを滅ぼす必要性を説いた(イチジクは日持ちがせず、市場に出回っているものは乾燥させたものが一般的であり、カルタゴから運ばれたイチジクが生食できるほど新鮮であることで、カルタゴの脅威が身近にあることをアピールした)。 度々カルタゴの脅威を訴えた背景に、カルタゴ調停の際に同国を直接見た時、第二次ポエニ戦争からの復興が早く進んだことを実感したからとされている。あるいは、当時のローマ人のギリシャ文化への傾倒に不安と反発を抱き、ローマ人の興味を対カルタゴ戦争へと向けさせるのが目的だったともいう。一方、政敵のプブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム(スキピオの従甥)は潜在的なライバルを持たないローマは腐敗して衰亡すると論じ、同じように演説の最後に「それにつけてもカルタゴは存続させるべきである」とやり返したと伝えられる。 第三次ポエニ戦争が始まってすぐに亡くなったが、まだトリブヌス・ミリトゥム(士官)に過ぎなかったスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)が活躍する様を聞いて、「まともなのは彼だけだ、他の奴らは影法師か」と叱責したと伝わる。カルタゴは紀元前146年、その小スキピオによって滅ぼされた。
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