対エチオピア関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:57 UTC 版)
詳細は「エチオピア・エリトリア国境紛争」を参照 1998年からはバドメの帰属をめぐるエチオピア・エリトリア国境紛争が武力衝突に発展。2000年に和平合意成立、国際連合エチオピア・エリトリア派遣団(UNMEE)が展開した。国境案が提案されたものの、両国間の合意が進まなかった。2008年にUNMEEは撤退、エチオピア・エリトリア間の緊張状態が続いた。2010年、エチオピア・エリトリア国境で軍事衝突。エリトリア側23名とエチオピア側3名が死亡。 2018年7月9日、エリトリアの首都アスマラにおいて、エチオピアのアビィ首相とエリトリアのイサイアス大統領が20年ぶりの首脳会談を行い、長年にわたる戦争状態を終結することで合意。戦争状態の終焉や経済・外交関係の再開、国境に係る決定の履行を内容とする共同宣言に署名した。 2020年にエチオピアのティグレ州で起きたティグレ紛争では、ティグレ人民解放戦線がエリトリアがエチオピア政府軍を支援しているとしてエリトリアの首都アスマラの空港を攻撃しており、人権団体などはティグレ州でのエリトリア軍の虐殺行為を非難して国連やG7もティグレ州からのエリトリア軍の撤退を要求した。エリトリア・エチオピア両国はティグレ州にエリトリア軍が展開している事実を否定していたが、2021年3月23日にアビィ首相はこれを認めて翌4月にエチオピア政府はエリトリア軍の撤収を発表した。
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