寛政の棄捐令とは? わかりやすく解説

寛政の棄捐令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 15:50 UTC 版)

棄捐令」の記事における「寛政の棄捐令」の解説

寛政元年1789年)に、時の老中松平定信寛政の改革一環として発令したのが最初であり、「天明4年1784年以前借金債務免除とし、それ以後のものは利子下げこれまでの年利18パーセントから3分の1の6パーセントに)、永年賦(長期年賦)を申し付ける」という法令である。さらに以後法定利率は、年利1割2分(12パーセント)にするとした。 この時の棄捐借金棒引き総額は、札差88人から届け出のあった額の合計で、金1187808両3歩と銀146分5厘4毛に達し、1軒平均1万3500両ほどとなる。これは幕府年間支出とほぼ同額だったと言われている。ただし、当時札差96人のうち8人が何らかの事情答申に応じていないため、正確な棄捐総額明らかになっていない

※この「寛政の棄捐令」の解説は、「棄捐令」の解説の一部です。
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