密集の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 09:07 UTC 版)
戦力を陣形に整えて運用することは初期の戦術的な挑戦として歴史的に広く行われていたことであり、刀剣類で武装した歩兵も例外ではなかった。紀元前3世紀にはマケドニアでファランクスと呼ばれる戦闘教義が開発され、歩兵4000名を16列に横隊で展開した。またこの後にローマで発明されたレギオンは120名程度から正面を20名で6列の中隊を最小単位とし、4個中隊で1個大隊、10個大隊で1個レギオンを編制した。そして10個中隊をやや間隔を空けて350メートルの正面に横隊で展開し、真ん中の一列を9個としてこれを75メートル間隔で三列に構えた。この間隔は戦術的な要求から隊形の戦力密度を上げる場合や、戦術機動のためであった。このように歩兵は密集隊形で運用され、刀剣類などの武装による突撃や陣地防御、占領などを行っていた。騎兵は歩兵の左右に配置されて戦況に応じて歩兵と連携して敵を打撃した。
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