容姿について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:59 UTC 版)
斎藤一を撮影したとされる写真の存在が、2016年(平成28年)に明らかになった。1897年(明治30年)に妻の時尾および息子二人と撮影した家族写真で、関係者宅の蔵を整理した時に見つかったものである。斎藤を生前よく知る者は「ふさふさとした眉、目つき鋭く、炯々とした背の高い男」と評している。他に次男の結婚式に参列する晩年(死の2年前)の斎藤一の姿が写っている写真も存在している。こちらは鮮明さを欠き、表情は読み取れない。 左利き説 斎藤は左利きだったという説がある。これは子母澤寛の『新選組物語』の中における、「暗殺された谷三十郎の死体を検分した篠原泰之進が、傷口が左の突きであったことから“左片手一本突き”を得意技とする斎藤が下手人ではないかと疑った」という描写が由来となっている。これが調査に基づいた史実か子母澤による創作かどうかは不明だが、この説は多くのフィクション作品において採用されており、斎藤の人物を特徴付ける個性として左利きに描かれることが多い。たとえば、浅田次郎原作の『壬生義士伝』では、テレビドラマ版で竹中直人が、映画版で佐藤浩市が、それぞれ斎藤を演じているが、テレビドラマ版・映画版のいずれも右腰に刀を帯刀している描写がみられる。しかし、斎藤を描いた絵や撮影した写真などでは通常の侍と同じように左腰に刀を帯刀している物が多いことから、左利き説を否定する意見も根強い。 夢録 子母澤寛が昭和4年(1929年)に発表した『新選組遺聞』に、斎藤一の口述を記録した「夢録」(むろく)という文書があると書かれており、研究者が探しているが、発見されていない。
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