宮崎「観光史学」のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 05:01 UTC 版)
「観光史学」の記事における「宮崎「観光史学」のその後」の解説
しかし、現在の会津若松市の観光都市化政策が、和解への問題とされる「怨念史観」から離れ、当初宮崎の求めた「歴史散歩」の観光史学に回帰していると指摘される一方で、死者への忘却ではなく真摯な向き合いを求めたこの宮崎の晩年の方向性は、宮崎が辿り着いた二人称たる戦死者への向き合いを通じて自らの共同意識を持つ — 一人称複数の共同体構築への想いが受け継がれずに放棄されていると指摘されている。
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