実際の事件との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 23:40 UTC 版)
「金閣寺 (小説)」の記事における「実際の事件との違い」の解説
「金閣寺放火事件」の犯人・林養賢も作中の〈私〉同様、吃音であるなど共通点があり、実際の事件に仮託してはいるが、事実はあくまで創作の契機と素材をあたえたにとどまり、小説『金閣寺』は一個の文学作品であるから当然ではあるが、作中の人物はもとより、〈私〉の行動などは事実とはかなり異なる。一例として、終結部分で、〈私〉は生きようとして小刀とカルモチン(催眠剤)を投げ捨てているが、林養賢は、山中でカルモチンを飲んだ上、小刀で切腹した(未遂に終わる)。 なお、この終結部に関して三島は、小林秀雄から「どうして殺さなかったのかね、あの人を」と質問され、〈小説で人を殺した経験は大分ありますが、どうも人を殺すのはむつかしい〉、〈生かすべき所で殺しちゃったり、殺すべき所で生かしちゃって、計画が齟齬したということがありますね。あれは殺しちゃったほうがよかったんですね〉、〈でも、ぼく、人間がこれから生きようとするとき牢屋しかない、というのが、ちょっと狙いだったんです〉と語っている。
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