宇治郡と宇治郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 21:43 UTC 版)
宇治郡は宇治川左岸にあった宇治郷に由来し、後に宇治郷を中心とする宇治川両岸を指す地域名としても「宇治」が用いられた。ところが、文禄年間に豊臣秀吉が行った宇治川の改修で宇治郷の中を宇治川が通るようになり、宇治川を境界としていた久世郡との境界も宇治郷を通るようになってしまったために「宇治郡宇治郷」と「久世郡宇治郷」が並立するようになってしまった(ちなみに『和名類聚抄』の最古の写本である高山寺本は宇治郷を宇治郡のみに、文禄の郡界変更後に校訂された慶長古活字本には変更を反映して宇治郷を両方の郡に記している)。更に江戸時代に入り、久世郡が宇治川左岸の一部を編入した際に宇治郡宇治郷の全域が同郡に編入されてしまったために「宇治に宇治なし、久世に宇治あり」と皮肉られたという。なお、現在の宇治市域には醍醐・山科を除いた宇治郡の大部分とともに久世郡に編入された宇治郷の全域が含まれている。
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