子への危惧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 02:22 UTC 版)
趙奢の子の趙括は、幼少の頃より兵法を学び時には父を論破するほど兵法に通じていたが、趙奢は趙括を評価せず「あれの兵法は口先だけのものだ。戦争とは生死のかかったものであるのに無造作に論じている。趙括が将軍になれば趙を滅ぼす。」とまで言い切り、妻に対しても決して将として用いさせないように、と遺言して亡くなった。しかし、長平の戦いにおいて孝成王は秦の宰相・范雎の策にはまり、司令官の廉頗を更迭して趙括を新たに任命した。だが、机上の兵法家でしかなかった趙括は秦の名将白起にあえなく敗れ戦死し、趙軍は兵士40万人を坑殺されて一気にその勢力を失った。なお、趙括出陣の際に趙括の母は亡夫の言葉に従い、孝成王に対して趙括を将軍に用いないよう懇願した。孝成王がこれを拒否すると、失敗した場合の責任を一族に取らせない事を約束させたために、一族が滅亡する事はなかった。
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